新しい学びネットワーク  「おでん」

新しい学びネットワーク  「おでん」

メニュー

リレーコラム『色んな立場•色んな思い』

23 Dec 2021

不登校のよさ

 神戸フリースクール6年生

 ぼくは、2019年7月からフリースクールに通っている12歳のTです。この文では、フリースクールの良さと、不登校になったときのことをまとめます。

 不登校になったときのことをまず書きます。

 これは2019年4月のこと。朝ごはんを食べて、学校に行く支度をしていたら、おなかがいたくなりました。9じごろになるとなおって、学校に行ってまさしたが、そんな日々がしばらくつづきゴールデンウィークが終わったころに、完全不登校になりました。

 学校に行ってなかった1ヶ月くらいは、お母さんとしゅみの鉄道にのりに行ってました。

そして6月末に見学、7月に、体験してすぐ入会しました。ここからはフリースクールのことを書きます。

 フリースクールは、10時半から17時にあいてて、好きなときに行って好きなときに帰れます。もちろん休んでもOKです。

 みんなは好きなところで好きなコトをします。たとえば、ゲーム、お絵かき、ボードゲーム、カードゲームなど。畑も近くにあって畑作業をします。行事、イベントもあって、よくあるのは、山登り、勝手にお誕生会、ランチづくり、公園など。ワークショップもありますね。年に1回のイベントは、クリスマス会、ハロウィン、子午線ウォークなど。

 これらの予定は、月末の全体ミーティングで決めます。

 フリースクールのことは、分かっていただけましたか?ぼくがおもう不登校の良さは、旅行に行くときに休んで、平日にもいけることですね。平日はいろんなところが空いています。

 それでは、読んでくれてありがとうございます。

2 Oct 2021

新始動

        神戸フリースクール卒業生

密かにリレーコラムを拝読している卒業生です。

私の昔を少し駆け足で振り返ると、小2から中3の終わりまでフリースクールにいて、その後は県内の某単位制公立高校に行きながら馬車馬の様にバイトをして、その後は、華の女子大生に憧れて藤原紀香の後輩になるも1年目で断念。そして保育の専門学校に進学し、いまは医療を主に必要とする子どもからお年寄りまでの施設に就職して10年目。


とまーこんなもんです。

至って普通で面白いか面白くないかわからん様な人生。


今回なぜこのコラムに投稿しようかなぁーって思ったのは、皆さんが素敵なコラムをかかれている中で、私の心に大きく刺激を与えた“自然な生き方”というお父さんのコラムがキッカケなのです。


拝読していて純粋に思ったのは、こんな考えのお父さん素敵!奥さんのことを気遣い、また子どもの気持ちに寄り添えるお父さんって素敵だなと。

もちろん苦難はあってたどり着いた考えで、過程は色々あったと思います。だけどこんな考えに行き着いたお父さんは素敵って思えたんです。


私の両親は私の不登校全盛期に離婚しており、もう父には20年以上会っていません。

父は不登校反対派、そのせいか学校に行かなくなって両親が離婚するまではほとんど記憶がないくらい喋ってませんでした。

だからかなぁ、自分にもこんな考え方のお父さんが居たら今頃どんな人生でどんな景色を見れていたんだろうと考えた時、凄く羨ましくなってしまった…というのが正直な感想です。


子どもは親を選んで生まれてくることが出来ないとよく言いますが、自分の環境を嘆いてたとき、

例えが極端ですけど、

例えばですけどね、例えばですよ。

私みたいに理由がどうであれ両親が離婚してる子、

両親からの育児放棄で施設で暮らさないといけない子、はたまた、芸能人の子どもに生まれてきて2世の子、天皇陛下一族の子どもに生まれる子…

単純にどっちの子どもが幸せなのかなぁとか、私は凄く真剣に子どもの頃考えたことがあります。芸能人の子どもって好きなものなんでも買ってもらえて裕福な家庭で育ってていいなーとか、天皇陛下の娘ってコンビニとか好きな時間に行けないんだよなぁ…それはそれで制約があってしんどいかぁとか、とか、アホな子どもの考えです。

大人になるにつれ考えは変わり、どんな子どもも幸せになる権利はある、親のせいにして自分が不幸だとか幸せだとか考えるのはやめようって。

フリースクールを卒業してからは幾度も困難な壁(というと大袈裟ですが)にぶち当たっては泣き、でもだからといって、「〜だから」という理由で諦めない夢に向かって努力する気持ちを持たせてくれたのは、フリースクールでいろんな大人に会えたから、仲間に会えたから…だと思うのです。

自分の境遇を嘆くより、自分で選んだ道を楽しむに変換されたのは。

このコラムを読んでいると、いつも思うことがあります。「せやんなー。親も悩むよなだってひとりの人間で初めての子育てで自分が育ってきた道みたいなものとは違った生き方を子どもが選択しよーとしたらどうしていいかわからんよなー」って。

きっとこんな風に悩んだりしているお母さんやお父さんいっぱいまだまだいるんよなーきっと…と思ったりすると、勝手に凄く胸が熱くなってます。

フリースクールは、子どもにとって尊い場所だし、親にとっても思いを共有でき、共感し合える尊い場所、そんな居場所の存在が私の原点でほんとに良かったと心から思っています。

ただの卒業生なので直接的に関わることもなく、密かに、コラムだったりFacebookを読ませてもらってたまにチクリン達に会いに行くぐらいで、もはや実家以上の場所になってます。私が、私らしく日々を過ごす、私が、私らしく社会で頑張ることが、きっといままで出会った大人への感謝と孝行だと信じて、私は私らしくこれからも日々を過ごそうかなぁと思っています。

そして私は、10年勤めた会社を今年度で退職し、来春から新たな場所で新たに保育士として新生活をスタートさせます。

保育者として更なる経験値を積むため、スキルを磨き上げステキな女子を目指していざ出発!

将来さらにどんな大人になるのか、自分でも自分の未来を楽しめる大人になりたくて決断し、新たな道に進むことを決めました。

いつかチクリンと何かコラボが出来るそんなこともあり⁉︎…なーんて考えたりね、ワクワクがとまりません!


しょうもない突然の乱入者のコラムを読んでいただき、ありがとうございました。

7 Sep 2021

自然な生き方(後編)

 普通と自然は違う。


学校に行くのは普通。息子たちの学校に行きたくない気持ちは自然。自然に生きようとしている息子たちと向き合う中で、普通に合わせて(我慢して)生きてきた私達は、息子たちの生き方が正しいのでは…?とさえ思うようになってきました。

 

そんなある日のことです。当時私はとても堅い仕事に就いていたのですが、朝出勤しようとする私に、次男がこう言いました。「パパさあ、いつも嫌そうに仕事行ってるけど、仕事楽しいの?」

思わず私は「楽しくはないけど、生活のためにやらなきゃいけないから…」と言うや、すかさず呆れ顔で「あのさあ、パパはいつも僕たちに自分のしたいことをやるんだよとか言うくせに、パパは全然できてないじゃないか!僕たちの心配をする前にパパの人生を心配しないと!まずはパパがやりたいことやって、幸せにならないとダメなんだよ!」と説教を受けました。

息子の言葉は衝撃でした。あまりにも正論だったからです。

 

私たちは話し合い、【学校に戻ること】から【自然に生きること】へゴールを変えることにしました。覚悟が決まれば、環境は変わっていくものです。今まで私たちが苦しんでいた心配事や不安は、【普通でなければならない】という私たちの価値観が生み出していただけでした。

そもそも、子供たちは何一つ悪いこともしていないのに、私たちは何を苦しんでいたのだろうか…?

こうでなければならないといったガチガチの価値観の鎧を一つずつ脱いでいくことに、最初は怖さもありましたが、脱ぎ捨てていくにつれてどんどんと体が軽くなっていきました。今思えば、逆に鎧を着けすぎて動けなくて苦しんでいたように思います。

『放てば満てり』という言葉がありますが、握っているものを捨てないと新しいものが入ってこないということを、この時私たちは体験していきました。

この頃、特に気を付けたのは子供たちを周囲から守っていくことでした。学校との関りは特に注意しました。

まず、学校には復学しない意思をはっきりと伝え、しっかりと距離を取るようにしました。担任からのアプローチも場合によっては、子供のストレスになるからです。

 

私は20年近く務めた仕事を辞める決心をしました。そして家族で話し合い、これからは自由(自然)に生きていこうと決め、子供たちの行きたい場所を探し始めました。時間はかかりましたが、ようやく神戸フリースクールにたどり着き、兄弟で通い始めて今年で4年目になります。

 

今振り返ってみれば、息子たちの不登校は私たち夫婦の生き方や価値観を見直す大切なきっかけとなりました。正直に申せば、我が子が不登校にならない限り、不登校を否定する側にいたと思いますし、鎧をガチガチに着たまま生きていたと思います。私たちは息子たちから生き方を教わりました。視野も広くなり、頭も柔らかくなり、何より私自身の人生を楽しむことができるようになりました。息子たちには感謝しかありません。

 

私たちよりも不登校でもっと苦しい思いをされている方もいると思います。周囲から理解してもらえない、相談できる人がいない、不登校には様々な苦しみがあります。私たちも完全に不安がなくなったわけではありません。三男は中1ですが、勉学は全くできておらず、大丈夫だろうか…?と思うこともあります。

ただ、そんな時は神戸フリースクールに遊びに行くと、不思議と安心します。同じ境遇の親御さんもおられますし、卒業生の子供たちを見ていると、ほっとするのです。

私が言うのも変ですが、苦しい思いを抱えている親御さんがいましたら、是非神戸フリースクールに遊びに来ていただければと思います。

 

このコラムを読んで、不登校で苦しんでいる親御さんが少しでも楽になるように…前を向けるように…切にそう願っております。稚拙な文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。


  3人の息子を持つ父親[次男(高1)三男(中1)の兄弟二人がフリースクール生]

16 Aug 2021

自然な生き方(前編)

3人息子を持つ父親です。次男(高1)三男(中1)の兄弟二人がフリースクールに通っています。

このコラムを書く目的は、今現在お子さんが不登校で苦しんでいる親御さんに対して、前を向くきっかけになれば…との思いで書いています。

 

きっと誰もがそうだと思いますが、我が子が不登校になるなんて考えてもいませんし、もしそうなれば当然ショックを受けると思います。私たち夫婦もそうでしたから。

ただ、先に結論を申し上げておきますが、今では私たちは息子たちが不登校になって良かったと思っています。

今は先が見えない状態で不安な親御さんもおられるかもしれません。でも、我が子の不登校には必ず意味があります。人生で与えられる試練は必ずそれを乗り越えることのできる人に与えられます。夜明け前が一番暗いのですが、必ず夜は明けます。

 

不登校のスタートは次男が小3の頃です。理由は単純で学校が楽しくないからでした。長男は普通に楽しく学校に通っていましたので、最初は気にも留めていませんでしたが、学校に行く日よりも休む日が多くなってくると、「まさか、うちの子が不登校に!?」と不安が襲ってくるようになりました。何とか学校に行かせようと、あの手この手を使ってはみるのですが、息子は私たちの意図を感じ、はっきりと拒否反応を示してきます。

妻は担任と相談しながら、別室登校で日中は絵を書いたり、好きなことができるようにして、毎日付き添い続けていましたが、息子が教室に戻ることはありませんでした。

私たちがこの頃、特に意識し始めたのが周囲の目でした。ご近所さんや、知人、同級生の親御さんなどから、私たちはどう思われているのか?私たちは周囲から取り残されているような疎外感を感じるようになってきました。

夫婦の話題も次男のことばかりです。「今日は学校に行ったのか?教室には行けたのか?何をしていたのか?」焦ってはいけないと言われても、結果が出なければ焦ります。普通に学校に行ってほしいだけなのに、何がダメなんだ?私たちのゴールが学校に戻れることだったので、答えのない原因を探し続けていました。

 

何とか別室登校で1年を乗り切りましたが、三男が小1になると恐れていたことが起きました。三男も1学期後半から「学校に行きたくない」と言い出すようになったのです。理由は次男と同じで学校が楽しくないからでした。そして、この頃になると次男は別室登校すら嫌がるようになってきました。

人生のレールから落とされたような敗北感を感じました。この時、もっと辛かったのは妻だったと思います。毎朝、近所の子供達が学校に行こうと誘ってくるのを断った後、日中は家で子供たちと過ごします。この頃、妻は外に出ることは極力避けていました。外に出かけるのは夕方以降にして、周囲の目を気にしながら生活していました。

運動会や地域の行事に参加することは、とても勇気が必要でした。周囲の方が私たちに気を使っているのを感じるからこそ、周りの視線も気になります。正直に言えば、各種イベントは苦痛でした。

 

ただ、そんな毎日でも変化は起きていました。私たちは毎週末カウンセリングに通い続け、息子たちと向き合う日々の中で、学校に通う目的について疑問を持つようになってきたのです。付き添いで学校に行ってる時も、子供たちは興味のないことを我慢して、お行儀よく聞かなければならない、悪いことをしていない子も連帯責任で怒られている、といった大人の都合で運営されている学校の実態を目の当たりにすると、そもそも楽しくないところに何故行かなければならないのか?その納得できる答えが、どうしても見つからないのです。

私たちは息子たちが「学校が楽しくない」と言っている理由が、解るようになってきたのです。


              後半へつづく(8月末更新予定です)

 

26 Jul 2021

生きるということ、どのように生きていくか、ということ(後編)

                                                                        高3男子の母


☆神戸フリースクールについて
 フリースクールは不登校になってすぐに息子を連れて行ったことがあり、その時は遠くて1人で通えない、と諦めました。
が、別室登校をして友だちと会い、思い切って中3の修学旅行に行った時、帰ってから「友だちが中学にいない、友だちが欲しい」とフリースクールへ行きたいと通うようになりました。

フリースクールに通ってよかったことは友だちができたこと、また学校のような先生との関わりではなく、スタッフの方など、色々な大人との関わりができるようになったことです。大人に対する不信感はかなり強かったけど、フリースクールに通う中で、信頼できる大人に出会えたことが大きいと思います。

フリースクールに通い始めて間も無い頃に、キャンプがあり、私も一緒に参加したら、その時急激に仲良くなった子とキャンプ地に着いてすぐケンカしていました。
私はその時また息子の話を聞かずに「何やってるの!!せっかくのキャンプなのに、またいらん事言うたんやろ!」と言うつもりでした。でもその時に周りの子が「今は2人で話をしているから、行かない方がいいです」と私に言ってくれたり、「(息子が)もうフリースクールに来なくなるのでは」とひたすら心配してくれる子など、この友だちに出会えて、ここならやっていけそうだなと思いました。

フリースクールに通ってすぐに人間関係がうまくできるようになったのではなく、何かあった時に今までは周りから厄介な奴、関わりたくないと切り捨てられてたことも、じっくり関わってもらえ、信頼関係が壊れることはないこと、この安定した人間関係のおかげで前向きになれたのではと思います。

☆親としてのフリースクールへの思い
私もフリースクールに息子が通うようになり、親の会にいくようになって、同じような経験をされた方の話を聞いたり、横の繋がりができて、他の中学校のことを知ることができました。息子が通っていた中学校は閉鎖的で、同じ神戸市でも前例のないこと、先生が知らないことをすることに物凄く抵抗や時間がかかるのですが、フリースクールで知ったことを担任に話し、定期券購入や卒業アルバムを断って返金してもらうことが他校では可能なこと、行事に不参加の場合の返金も、担任や教頭に話すことで少しずつ変わりました。知らなかったら言えないこと、要求しなければ変わらないことがたくさんあります。そして個人でしようとしていると、簡単にモンスターペアレンツで終わることが多々あります。他校の様子や出会った先輩保護者の方たちがどのように学校と向き合い交渉したかということはとても力になりました。

そしてようやく私も話ができる人ができました。どんな相談窓口で相談しても未消化だったのに、話がすぐに通じます。必要な情報や聞きたいことがすぐに分かることが増えました。
不登校を経験してない親や人にとっては、全く共感できないこと、腫れ物に触るような気を遣われて恐る恐る話をされていたことも話をわかってくれる人がいることで、私も気持ちの整理ができました。

息子がフリースクールを卒業しても私はまだ行きたい場所です。息子もまた遊びに行くかもなと思っています。

☆生きるということ

 息子が自殺未遂をしたときから、本当に生きてくれたらいい、ただそれだけでいいと思ってました。そして今しかない生き方、切羽詰まった、明日生きているか分からない状態で生きていて、本当に苦しかったと思います。

今は目が輝く生き方をして欲しいと思っています。不登校の子どもたちが演劇をするTFT(Teenagers Free Theater)と出会い、更に前向きにチャレンジしようとするようになった息子。

これからも困難なことはたくさんあると思いますが、どう生きていくのか、選択し、間違えてもまたやり直すことを大切にできたらと思います。そして周りにいる人のことを考え、自分を支えてくれる友だちを大切にしてくれたらと思います。一生続くような友だちに出会えたフリースクール、感謝しかありません。
29 Jun 2021

生きるということ、どのように生きていくか、ということ(前編)

              高3男子の母

☆不登校のきっかけ

 小学生の時、息子はそれまで仲のよかった友だちが転校し、高学年になり小学5年の時の担任と合わず、その担任に集団行動ができないこと、今するべきこと、周囲の状況がみえてないことを指摘され、その頃から学校を休みたい、と腹痛や微熱を訴えるようになりました。その時は学校へ行ったり行かなかったりでしたが、6年生の担任の先生が変わり、また通えるようになりました。

☆中学校の校則、ルール、雰囲気について
 中学になって、4月は頑張って行ったものの、中学校の校則や規則に躓きました。
 制服に対し、なぜ男子は詰め襟なのか、なぜ白い下着に統一されているのか、ジャージで登校はなぜだめなのかと言っていました。
 もともと皮膚が弱く、また紫外線アレルギーもあるので、帽子はかぶって行きたいのに、「帽子は本来学校には不要なものなので、門に入るときには脱いでカバンに入れるように」という指導にも違和感がありました。医師の診断もあるのに、他の子は被ってないからという理由だけで、悪いことをしているかのような扱いでした。
 
☆中学校の先生
 担任との関係は最初不登校になったきっかけが友だちとの人間関係やイジメだったので、相談してすぐに解決するかと思っていたら、担任が若い先生だったので学年主任が登場し、別室登校を勧めてきました。
 主任担任が登場してから全く担任とうまく連携がとれず、毎日家庭訪問されるけど、息子はずっと家にいるので何も変化なし、話すこともなし、夕方忙しい中で更に担任が来るのを待たないといけない時間が苦痛過ぎて、最初は毎日来てもらって申し訳ありません、と言っていたけど、何で私は謝っているのだろうかと思い、必要な時はこちらから連絡します、と毎日の家庭訪問を断り、ようやく気が楽になりました。それを言うのに半年ぐらいかかりました。毎日イライラしていたと思います。

☆別室登校について
 別室登校については、ただ出席日数のために通い、学校行事の時は本人が行きたくても、先生が付き添えないからと遠回しに断られ、好きな美術を少しするだけでしたが、中間期末テストの時は全く勉強してないのに受けさせるという指導で、テストは分からないのでやめて下さいとお伝えしましたが、結局テスト期間中に登校するとテストを受けるように言われてました。

担任は別室登校して慣れたら教室で勉強できるように指導していきたい、クラスに馴染むように見守ると言ってくれたのですが、イジメっ子は先生たちの前では「いい子」だったので、イジメを訴えた時も「本当にこの子たちですか?」と写真を持ってこられ、この子とこの子と…言っても、まだ信じられない様子。息子の話を聞くとは言ってもらったけど、平気で嘘をつく子どもたちに先生は見抜けるか、何とも言えない気持ちになり、別室登校を選択。でも中学の時代に友だちと遊べないというのは苦しいなと思いました。

その頃言われたことで教頭に「お母さん、長い目で見ると中学校なんて3年間しかなくて、あっという間ではないですか。3年間別室登校でもいいでしょう。」と。しかし、今しかない時に言われたくない言葉でした。3年間生きられるかどうかも分からない時にこれでいいのか、と。

中2の時の進路指導の先生が熱心に関わって下さり、何人かの生徒と別室で話をしたり、その時から息子が手作りしているスター・ウォーズのライトセーバーを活用したお楽しみ会を設定して下さり、徐々に息子も先生に心を開いていた中、先生が転勤。またしばらく学校に行けなくなりました。

☆思春期外来、病院
 病院に通うようになり、最終的に思春期外来の先生に相談し、薬を処方してもらいました。とりあえずその時は昼夜逆転、眠れない、不安が強い、ゲームばかりする、ホラー映画ばかり観る、イマジナリーフレンドが増えていくなど、心配になることがたくさんあり、塾や絵の教室の習い事もやめました。

ますます家に閉じこもり、夜しか外出できず、このままずっと家にいて、友だちもいないまま大人になるのだろうかと思うと、何とも言えない不安がありました。でもその時に病院の先生から「なぜホラー映画を観るのか、聞いてみたらどうですか?」と言われ、恐る恐る聞くと息子は「ホラー映画で皆はパニックになる中、主人公が冷静に物事をみて対処している所が面白いから」という答えが返ってきて驚きました。更に「ママはもっとホラー映画のストーリー性をみたほうがいい」とアドバイスを言われました。

☆服薬と副作用について
薬については最初落ち着くため、夜眠れるように服用してましたが、不安感が増し、副作用も多く、紫外線アレルギーも酷くなり、自殺願望が強くなるため、先生に相談してやめました。やめるときも息子は薬がないと眠れないし、やめたくないと言っていましたが、今はやめてよかったと思います。眠れない時は無理して寝ない、というのも大切なことかと思います。

☆相談窓口機関、学校カウンセラーなどについて
 学校からもらってくる手紙の相談窓口に電話したり、直接相談に行ったり、勉強会や講演会に行きました。
相談窓口は学校との橋渡しはしない、学校に相談があったことは報告する、そして相談員さんに「お母さん頑張って下さい、お母さんがオロオロしてたらダメだから、もっとどんと構えて」と言われ、そういう励ましより、具体的な情報や学校との連携を期待していたのに、何とも言えない怒りが込み上げ、腹立たしく思いました。

☆横の繋がりがない
時々学校に行くと同じように遅くから学校に行ったり保健室や図書室に登校する親子を見かけることもあり、学校に通いにくい不登校の子が他にもいるんだ、と思うものの、学校に聞いても個人情報だからと教えてもらえず、本当に孤独でした。同じような不登校の子どもを持つ親と話をしたいと思っていました。

☆家族について
家族関係としては、しばらくの間、本当に長い間息子と断絶状態でした。最初不登校になった時も力づくで私は学校に行かせようと思い、叩いたり、暴言を吐き、物を投げたりしてましたが、中学の息子はビクとも動かず、毎日怒鳴り合い、2人とも泣いたりわめいていました。その時に夫が「そんなに行きたくないなら、休んだらいいやん」と言って、は?と思ったことが忘れられません。とりあえず全く学校へ行かないし、話もお互いできず、息子はたまに夫に話し、夫から息子のことを聞くような感じでした。

その時息子とずっと話をしていたのが娘で、小学校の頃から様子も度々私に「(息子が)友だちおらんみたい」「休み時間廊下をウロウロしてたで」などと教えてくれ、毎日の息子の学校の様子を報告、伝言してくれていました。
息子のことをこんなにも考えてると自分では思っていたけど、息子の気持ちに寄り添うとか話を聞くということができてなくて、夫や娘から聞くことでハッとしていた気がします。そんな中で、病院から息子が発達障碍と診断され、私の中で何かストンと納得がいき、今までガミガミ言っていたことも言わなくなり、息子が興味を持つものを一緒に探したいと思うようになりました。
それでもイライラしたり、全く意思疎通できないことも多かったけど、そこから少しずつ会話できるようになり、夜ドライブをして面と向き合わず、隣りに並んでポツポツ話をする、後部座席で話をするスタイルで、ようやく会話できるようになりました。


16 Jun 2021

「やりたい」を応援したい

  ちくりん(神戸フリースクールスタッフ)

私が神戸フリースクールでスタッフとして活動するようになってから、いつのまにか20年。不登校のことやフリースクールのこと、こんなことも、あんなことも変わったよねぇと語ってみたいのですが、変わっていないことはまだまだ多いです。何より、不登校の子と保護者さんは、未だにフリースクールをすいっと簡単に見つけられないらしい。学校の先生たちも知らない。…どういうことや。うーん、私たちはまだまだということか。反省。

はっきりと変わってきていることは、不登校の子どもたちの数がぐんぐん増えているということでしょうか。ちなみに、2020年の県教委発表によると、県内の不登校生徒数(小~高)は約9500人だそうです。20年前は、6400人くらいだったみたい。子どもの数は減っているのにね。全国では18万人にのぼるとか。

私がこのフリースクールに初めて来たとき、当時の建物は木造の2階建てで、とても小さなおうち。そこに小学生から高校生までひしめきあっていました。初めて出会った小4女子から「ツヨシとコーイチ、どっちが好きっ?」と唐突に質問を受けたことは、今でもよく覚えています。答えたものの、ちょっと落胆されたことも。

そして、みんなしっかりしていて、明るい子たちで、はっきり主張する子たち。言いたいことを言い合う仲で、引っ込み思案な私にとってはとてもとても衝撃的でした。自分以上に積極的な子どもたちの集まりだったのですから。ぼんやり抱いていた不登校へのイメージが覆されたのはこのときでした。

そこから何がどうなって今に至っているのか、これといって決定打は実はありません。みんなといるのが楽しいから。たぶんそれだけでずっとやってきました。日々の中でくるくると移り変わる子どもたちの感情の動き、初めて来てから馴染んでいくまでの子どもたちの変化っぷり、斜め上から飛んでくるうちの代表の発想…どれを取っても、面白く興味深い(笑)。

うちのフリースクールって、学校みたいに確固としたカリキュラムがあるわけではないけれど、子どもと大人の関係や子ども同士の関係の中から、いろいろなアイデアが生まれたり、やりたいことがどんどん浮かんだりします。それが様々な学びに繋がり、ひいては生きる力に繋がっていくわけです、きっと。これって、すごいオーダーメイドだと思いませんか?カリキュラムに子どもを合わせるんじゃなくって、子どもに合わせた学びが組み立てられていくんです。そんな暮らしをした子どもたちは、どんな大人になるのでしょう。

子どもたちがフリースクールを去るときには、ささやかな希望をお土産に渡したい。よーしがんばってみる!って思えるような、大人になるのが楽しみだなぁって思えるような。そのためにも、フリースクールで存分に好きなことと楽しいことをしてもらわないとね。だからこそ、限りなく子どもたちの「やりたい」を応援したいと、心から願っています。

24 May 2021

ありがとう

娘が学校に行かなくなったのは確か5年生の2学期の中頃だったかな。

最初は、熱も出てないけど意味もなくちょっと1日休んでみようかなって初めて理由もなく休んでみたらなかなかに楽しい休日になったのが始まり。

思えば娘が0歳の時から保育所に預けて、休みなく保育所ですごし、小学校にあがっても学校と学童保育で夏休みや冬休みもなく通い続ける毎日が当たり前だったので、たまには家でゆっくりする日があってもいいよねって思っていました。

でもそこから休む日が増えて、今度は朝、学校に行こうとすると頭痛や微熱が出るようになりました。そして3学期にはもう完全に学校に行かなくなりました。

最初は休みたくて休んでいたのが、どんどん行きたいのに行けないに変わっていって娘がどんどん辛そうになっていくのがわかりました。

私もとても戸惑いました。
友達もたくさんいたし、みんなにも好かれている子だったので。なんで?って気持ちがいっぱい。


休みたい間は休んでいい。
学校だけが全てじゃない。
学びの場はたくさんある。
なによりも娘の心と命が1番大切。


と、頭ではわかっているのにその反面、心はザワザワ。

どんどん外に出られなくなって、近所のスーパーにさえ行けなくなっている娘をみていると、このままどこにも行けなくなって、引きこもりになってお家の中でずーっと大人になってもひとりぼっちだったらどうしようと不安になったり。

娘の事を心配しておうちに顔を出してくれるお友達の気持ちに応えてあげられなくて申し訳ないなと思ったり。

校長室に呼び出されて、校長先生や教頭先生の前ですごく不安で緊張したり、引きずってでも行かせるのが親だろうと言われて、は?時代遅れか!って、超絶腹立たしい思いをしたり。

近所の人たち、ママ友たちが気を遣ってる空気も、逆に色々とアドバイスしてくれるのも、心配する顔も、居心地が悪かったり鬱陶しく思ったり。

娘が家にいる間に進んでいく学校行事にも寂しさを感じたり。

今までは参観日に、ママ友たちと自分の子達の事をお喋りしたりして楽しかったのにそれもできない寂しさ。

運動会も毎年、一眼レフのカメラとハンディーカムをスタンバって夫と一緒に娘を追って駆け回ってたのに。お昼には夫のお母さんとみんなでお重に詰めたお弁当を囲んでたのに。小学校最後の運動会もそんな風に過ごせると思ってたのに。

修学旅行も遠足も。娘と一緒にいたお友達が楽しんで行ってるのに、いつもそこにいてお友達と一緒に笑っていた娘はもうそこにはいなくて。

当たり前にみんなと同じ制服をきて中学校に進むと思っていたのに。どんな部活に入るのかなぁとか思ってたのにもうそれも無理なのかな。

みんなはどんどん進んでいくのに娘も、私たちもそこにはもういない。私たちだけ時間が止まってしまって取り残されてしまった感覚。。。

1番辛いのは娘。それは痛いほどわかってる。

でもね、たくさん溢れてくる私の気持ち。
頭ではわかっている正論みたいな色々で、私の気持ちに蓋はしたくなかった。
蓋をした気持ちの色々は時間が経てば経つほど私の中で腐ってドロドロになって腐臭を放つって事を私はよく知っている。
それは表面では「いいよいいよー好きなだけ休んでいいよー」って言ってても、ドロドロの腐臭は嫌でも私の体から漂って娘に届くと思ったから。
そんなのはイヤだから。

それに10年ほど前に、
「酸素マスクは自分からだよ」
って教えてもらったから。

飛行機の搭乗時の説明モニターに非常時の酸素マスクのつけ方について説明が流れるんだけど、親子の場合、どちらが先にマスクをつけなければならないかも必ず説明されるんだけど、どちらが先だと思いますか?
10年前の私はこの質問に、「そりゃ子どもに決まっとうやろ!」と自信満々に思っていたけど、違っていました。

必ず自分が先に。なんです。

なんで子どもではなく、自分からかというと、
どんどん酸素が急激になくなる中で自分の酸素マスクをせずに朦朧とする中で子どもの酸素マスクをつけようと頑張ればうまくできないし、その間にどんどん酸素がなくなって自分も、子どもも共倒れになってしまうから。

まずは自分の酸素を確保した上で子どもにも酸素マスクをつけてあげる。それが子どもの命を1番確実に守る方法。

だから、今回も娘の事が大事だからこそ、まずは自分が楽になる事を最優先にしました。

自分の気持ちに蓋をすることはせずに、溢れてくる気持ちを、たくさん涙を流して、寄り添ってもらいながら安心して吐き出せる場を、ありがたいことに私は当時すでに持っていたので、そこでたくさん自分の気持ちをおろすことができました。

そうしながら、同じように、私は家の中で娘が気持ちを吐き出して涙を流せる場であるように自分を整えていきました。

娘が不登校になる少し前に、
あれ?そういえば娘の本音って聞いたことないかも。気づけば私、娘の気持ちってちゃんと聞けてるのかなって気づいて、話の聴き方やアイメッセージの伝え方を改めて勉強し始めていたところだったので、自分の湧いてくる気持ちも大事にしながら、一生懸命勉強しつつ試行錯誤で、きっと失敗もたくさんあったけど、それでも娘の気持ちを聴く事に徹しました。

フルタイムで働いていた仕事は辞めませんでした。娘を1人家に置いて出る事はとても不安だったし、寂しいおもいをさせているという罪悪感もありました。心配でもありました。
でも娘の寂しさ、怒り、悲しみ、不安といった感情を感じる機会を奪いたくはなかったからです。
私が今やる事は、一緒になって家で鬱々としてる事じゃない。自分がまず楽になり、娘の気持ちを聞いてあげる事。それだけでした。

変えられるのは自分だけ。
これも10年前に教えてもらった事。
それを今回も自分自身に言い聞かせて自分自身に向き合いながら娘と対話していきました。

そんな日々の中で、

私には耳の痛い娘の本音を初めてぶつけられて、やっと目が覚めて、わかっちゃいるけどやめられない事にブレーキをかける事ができたり、、、

あれれ?夫と私って対等じゃないぞ、私、ずいぶんモラハラ嫁ではなくなってきたとは思うけどなんか相変わらず家庭内女王様だぞって気づいたり、、、

夫の気持ち全然聴けてないぞ!夫だって私が色々な気持ちが湧いてくるように夫にも色んな気持ちがわいてきてるだろうに。それに私、肝心の夫に自分のこんな色んな気持ち分かち合った事ないぞ?夫婦なのに!私たち2人の子どもの事なのに!って気づいたり、、、

他にも色々。

娘が学校に行かなくなった事によって、自分自身と向き合って吐き出していく中や、娘の気持ちを聴く中で、たくさんの課題が目の前に並べられている事に気づかされ、それに対しての自分自身のあり方を変えていくきっかけをもらう機会を与えられたような気がします。

そして、今、私が大好きな家族。
私も含め、夫も、娘も、家族3人みんなが我慢せずに、自分の気持ちを伝え合いながら暮らせる家庭にしたい。みんなが対等である家庭にしたいって思うようになりました。
それは今もぼちぼち頑張ってるところ。

そんな色々な出来事をここに書き始めるとキリがないのでまたの機会に。

今、娘は自分のペースでフリースクールに通っています。
地元のお友達と沢山の学校行事を共にする事も、みんなと卒業式に参加する事も、みんなと同じ制服に身を包む事も、部活をする事もありませんでした。

でも、フリースクールやSNSで、とても仲のいいお友達や、信頼できる大人の人といい関係を築いています。
もちろん色んな出来事が日々起こります。
腹の立つ事、疲れた事、嬉しかった事、楽しかった事、不安な事、緊張した事…そんな毎日体験して感じるさまざまな気持ちを話してくれます。

話を聞いていると、彼女を取り囲む世界はなんて、自由で広くて大きくてあったかくて、愛や優しさに溢れていて素敵なんだろうって感じます。
私の内にいる子どもの私が地団駄踏むぐらい羨ましがる事もたくさん。
でもね、子どもの頃の私には出来なかったよ。
助けてって言う事は。もう無理だよって言う事は。
でも、やっぱり彼女はすごい。
今彼女の周りにある世界は彼女が選択して掴んで築いてきた世界だから。尊敬するよ。とってもね。頑張ったね。そしてこれからもそっと応援してる。見守らせてね。
そして、私も…頑張ったよね。夫も頑張ったよね。
今、私はあの頃辛かった事なんて帳消しになるぐらいのたくさんの恵みをもらっています。
私たち家族ができてまだ15年だけれど、この15年の全ての出来事に。
そして夫に、娘に、そして私たちに出会ってきてくれた全ての人達に。
そしてそして、諦める事なくより良く生きられる方を探しては選んで必死で掴んで一生懸命もがきながらも、自分にとっての最善の道を生きてきた過去の私にも、ありがとうって気持ちでいっぱいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

中3女子の母



12 May 2021

KFSは家族

 長男高2(定時制香風高校)が中1の1学期の期末テストを終えたくらいに腹痛を訴えて休みがちになりました。実は小6にも学校内トラブルで2か月ほど行けない時期はありましたが、クラスの雰囲気が変わった3学期に復学でき卒業を迎えました。そんな経緯があったので、思春期の心の不安定さには注意していたつもりだったんだけどー。 「中1ギャップ」教育関係者には、これをいう方が手っ取り早いので、よく使いますが、いろんな葛藤がきっとあったんだろうなーと振り返ります。
 

 長男を筆頭に次男中3・三男小5(ASD療育B2)・小3双子女子と子どもがいまして、長男からみると、4人の弟妹がいることになります。 当時、フルタイムに働き方を変えた私にも協力的で保育所のお迎えや家事なども手伝ってもらっていました。おちゃらけているようで、繊細さがあり真面目な所もあり、学校・部活・家庭教師・家のこととキャパを超えてしまったんだなーと思います。 「できない」とは言えない、何でも引き受けてしまう性格は私と似ていると思いました。私はいい加減?な所があって、できなかったら、ごめんなーと言ってごまかしますが、長男はできないタイプ。そんなんできないって断ればいいんやん、なんてテキトーアドバイスにはもちろん効果はなく……(=_=)


 夏休み前に部活ユニフォーム購入が迫っていたので、部活相談をしたら「夏の新チーム作りで強化練習についてこれない、学習の遅れが優先、見学やサポーターのような参加はできない、スポーツに対する熱意がなければ続けるのは難しい」と言われたことは正論すぎる回答に、わかってはいたけども悔しさと悲しさと怒りを覚えました。この辺から、私の学校への気持ちが冷めて(覚めて)いったようなーーー。 夏休みは友達と夏休みの課題をしたり交流もあって、2学期からという気持ちがあったので、始業式、夏休み後テストを受け3日目からは腹痛が始まりそれから行けなくなりました。


 行けなくなってから、朝から行く行かないの親子で問答が始まり、反発も強くなってきた分、私も負けじと登校刺激をしていました。学校行かない日が一月を過ぎ、仕事は無理だと感じて退職し、二人きりの空気はとても息苦しくて、主人にはほぼ毎日ラインをして、泣いてばかり。家族も笑えない日々が続いていました。 


 当然苦しいのは私だけでなく、長男も苦しくて苦しくて3か月目くらいに「消えたら楽になれるのかな」と言いはじめ時々、8階ベランダでうろうろするようになりました。何を言って引き留めたのかは記憶が曖昧だけど「生きててほしい」その一心だっだと思います。私も一緒に……なんて考えがよぎるのを必死に「生きる」ことへ上書きしていました。買い物に出たときにすれ違う救急車が我が家の方向かもしれないと、毎日が緊張していました。 そんなことがあって、苦しすぎる、家族が笑えるようにしたい、と家族会議をして学校への行く事よりも楽しいことしよう、っていう事で初めての家族みんなで宿泊体験をしてみたり、方向に変えていくけど、なかなか対応がわからないもので、なんだかギクシャク。楽しい顔をしてほしい気持ちが強かったなー(^_^;)


 大きく変わったのは年始に中学教諭のいとこのお姉さんにしっかり話を聞いてもらったこと。心配した身内が頼んでセッティングしてくれました。東京の中学校の状況・不登校の対応・発達障害・フリースクールのことを現場目線で話してくれ、何より現職教員から「学校に行かなくていいよ」この一言で救われたように思います。 点数を取る勉強だけがすべてじゃない、多様な学び方が広がり始めているんだよと気づかせてもらいました。 関西のフリースクールなど資料を集めてくれていた中に神戸フリースクールがありました。冬休みの間にメールを送り、3学期からは学校から離れて外部に行く決意が固まりました。あの時の解放感は今でもはっきり覚えています。学校に囚われていたのは実は私だったのかもしれませんね。
 

 神戸フリースクールと出会えたことで長男だけでなく私も元気になっていきました。学校の先生が「笑うようになってうれしい、フリースクールの意義を感じる」と言ってくれたことが何よりの証拠なんだろうな。あの生き死にを考えていた時期には戻ることがないよう、下の兄弟たちにも選択肢はあるよ、と伝えています。 フリースクール生活は書き出すと止まらないので、またの機会に。長男にはきっと大人まで関係が続くような無二の友達にも出会えました。高校が決まっても、フリースクールはやめたくない、行きたいと思わせるほどフリースクールは彼にとって居場所というよりも「家庭や家族」くらい今では大きな存在です。


自由な5人の子の母
 

1 May 2021

世界の中心で自由を叫ぶ

今日も朝から我が家のボスが絶好調だ。オリジナルの歌を大声で歌い、オリジナルのダンスを踊っている。声はデカい。でも、超絶ご機嫌で楽しそうだ。毎日何かイタズラを考えては、全力投球で楽しんでいる。ある時はキッチンが事故現場になり、ある時は飼い猫に通行手形を求めている。朗らかだ。

小学6年生にはとても見えない。

そもそも小学6年生らしさとは?

最近そんな事を考えている。

学校へ通っている頃、我が家のボスも女王も周りのお友達と同じように振る舞っていたのを思い出す。

周りの友達と似たような服を着たがり、周りの友達からの視線に怯え、周りの友達に合わせた言葉を選び、周りの友達と同じように出来ない事に非常に苦しんでいた。


今、我が家、ボスも女王もとても自由だ。

心が自由だ。


先日、仕事から帰宅したら、車のボンネットから屋根からドアからアクリル絵具で落書きだらけになっていた。我が家の自由人達のやり方だ。自己表現が紙の上におさまらなかった。確かに、道路交通法では咎められない。だけど誰もやらない。みんなと違う事はみんなやらない。そんな世の中に、我が家の自由人達は心地よい風を吹かせているように思う。自由だ。


初めは不登校を選びたくて選んだわけではなかった。まさか我が子が。

我が子が学校生活に疲れ、頭痛が続き、吐き気が治らず、闘病に疲れて「早くお仏壇になりたい」と涙目で訴えた。「植木鉢で殴られ続けてるみたいだ」と。そんな風に泣きながら悶え続ける子どもの姿を見ているだけしか出来ない。親として代わってやれない事が辛くて布団の中で出口の見えない苦しみに親子で泣き続けた。

道を歩けば、ボスのかつての友達が元気にドッヂボールをしている。ママ友達は楽しそうだ。我が子だけが闘病に苦しんで、我が家だけが真っ暗で。


もしかしたら、このコラムを読んでいる方の中には、今我が子の不登校に悩み苦しむ保護者さんもいらっしゃるのではないだろうか?

そんな保護者の皆さんに、大きな声で叫びたい。


不登校ってそんなに悪いもんじゃない。

こんなにも世間の価値観から自由になれる。

とにかく誰かと繋がって欲しい。


我が家は今、フリースクールに通って、子ども達がイキイキしている。毎日大声で歌を歌い、全力で踊り、何かを作り、イタズラし、全力で笑い、全身で自分を肯定している。

学校から押しつけられる価値観は、教師からだけでなく、友達からの同調圧力にもある。

学校から離れる事で全てから自由になれる。

なんて素敵!


ただ、車の落書きは、私のインテリアの趣味と合わないので、子ども達と交渉しようとは思うけど。


ボス6年生と女王3年生の母




12 Apr 2021

『行きたくない』

そう言われたのは中1の2学期の初日。

私はもちろん戸惑ったけれど、そんな姿は見せないように振る舞ったつもり。
なぜなら、1学期からなんとなく感じてたから。
でも、気がつかないフリしてた。
ごめんね。
だって、『まさか』『うちの子に限って…』なんて言葉がピッタリすぎて。

『みんな行ってるのに』
『行けばいいのに』
『どうして行かないの?』
そんな言葉、浮かぶたびに必死に消していた。

田辺先生から『よく自分の命を守ったね』と、褒めてあげなさい。そう言われて私は『生きていてくれて、ありがとう』と、まだ本人には言えていない。。。

『行きたくない』
私がそう言ったのは小5の2学期。

母はもちろん戸惑っていたけれど、受け入れてくれた。
当時の母が今の私と同じ気持ちだったかどうかはわからないけれど、私は母のしてくれた全ての事に感謝している。

学校に行かなかったことを後悔したことがないと言えばウソになるかもしれないけれど、彼には後悔してほしくないから、
ぜひ一緒に考えさせてほしいこれからのことを。。。

中3の母(神戸フリースクール卒業生)
30 Mar 2021

親の力

神戸フリースクール 代表 田辺克之

 のんびり明石公園のお堀の横で、小さな学習塾を営んでいたボクのところへ、生徒の親が2人、連れだってやってくるなり、「センセ、お願いします。昼間も塾を開けてください。ウチの子毎日ひとりで部屋でくすぶってます。どこも行くとこがないんです。」と熱心にボクを口説いたのです。一度はお断りして、帰られたのですが、次の日はひとり増えて、3人で押しかけてきて、「センセに迷惑書けません。カギは私たちが開けますから」と。この突然の訪問がなかったら、そしてあきらめずに再度訪問する熱意がなかったら、フリースクールは始まってなかったと思います。親の力はすばらしい。「門をたたけ、さらば開かれん」ですね。
 たまたま知り合った神戸新聞の記者が、小さな記事にし、それを見たNHKが大きなカメラを携えて取材した結果、かなり遠方からも問い合わせがあって、あっという間に小さな教室が不登校生であふれました。もはやお母さんたちだけにまかせているわけにはいかず、深夜の塾はやめて、朝はフリースクール夜は学習塾というスタイルがしばらく続きました。
 ところが5年目の1月17日、阪神大震災で、自宅も教室も全壊し、傾いた柱と破れた屋根の下で不安な夜をすごし、もう潮時かなという考えも浮かんでいました。ところが、明け方、突然の電話。被害の少なかった加古川の親御さんからの相談電話でした。息子がバットを振り回して暴れています。裸足で公衆電話まできましたが、助けてほしいと。しかし道はボコボコで、寺の墓地から、何本も墓石が道路に崩れ落ちて、自転車でも走りにくい状況でした。
  話は長くなるので、結論だけ書くと、バットの少年は、この震災直後の混乱した中を自転車飛ばして加古川から駆けつけてくれ、教室の片づけを手伝ってくれたのです。フリースクールが危ないと母親から聞いた彼は、手袋と懐中電灯を持って飛び出しましたと母親が涙声で話してくれました。ボクの体に電気が走った気がしました。この少年が、苦しくて暴れていた少年が、フリースクールを助けようとしてくれている。いま、この灯を消してはならないんだと。彼が教えてくれました。それからいろいろおりましたが、30年続けてこれたのは、たくさんの応援してくれた子どもたちと保護者のおかげです。

16 Mar 2021

ホームページ作りました

やっとホームページができました。2020年、神戸フリースクール親の会「不登校ネットワーク兵庫」は「新しい学びを支える親の会」に名前を変えました。会のメンバーもフリースクール関係者のみならず、これからの子どもの学びについて興味のある方ならどなたでも参加できます。

子どもの不登校をきっかけに、向き合い始めた「今の子ども達の学び」のこと。自分が小学生の時は流されて当たり前だと感じていた事も、あれ、それっておかしいのかな?と、やっと気づけるようになってきました。

みんな、同じでなければならない規則、同じペースで同じように学習しなければいけない環境、年月と共にアップデートしていくべき事が、昔のまま続けられている事、たくさんあると思います。

このページでは、いろいろな立場の人がいろいろな思いを、それぞれつぶやいていけたらなあと思います。

トップバッターは、小4•小2の子どもが現在フリースクール生の親の会代表大竹でした。

X